食と暮らしから見えるOIST~恩納村の異文化交差点〜
レキサンでインキュベーション事業を担当しております、高橋です。私の職場は、沖縄県の西海岸に位置する恩納村谷茶にあります。ここは美しいリゾートエリアとしても知られ、その高台にOIST(沖縄科学技術大学院大学)のインキュベーションセンターがあります。インキュベーション事業の詳細については、これまでのブログでご紹介させていただきました。
OISTとはどんな大学か、簡単に説明させていただきます。一言で言うと…とは言いつつ、少し長くなってしまいますが(笑)、以下のような特徴を持つ大学です。
- 理工学分野の博士課程を置く学際的な大学院大学
- 世界の科学技術への貢献を目指す研究拠点
- 国内外の優れた研究者が集う世界最高水準の研究機関
- 沖縄の産業革新を牽引する知的クラスターの形成が目的
- 日本政府(内閣府)によって設立された”私立大学”
最も特徴的なのは、その国際性です。学生の8割が海外からの留学生で、まさにMelting Pot(人種のるつぼ)。公用語も英語です。温暖な沖縄の気候のおかげで、12月になってもTシャツ短パン姿の欧米出身者がキャンパス内を闊歩しているかと思えば、最高気温が22℃を下回ると早々に冬支度に入るアジア系学生・研究者がいたり。その光景も、今では日常の一部となっています。
今回は、このように多様な文化的背景を持つ人々が集まるOISTならではの特徴的な食と暮らし、沖縄とアジアの親和性について紹介します。
海外からの研究者が直面する課題
住まい探しの壁
OISTには教職員や学生のための住宅や寮が用意されているんですが、アクセラレータプログラムという、いわば奨学金を受けている研究者たちは、自分で住まいを探してOISTまで通う必要があります。
ご想像に難くないと思いますが、実は海外からの学生や研究者が日本で賃貸のアパートや住居を借りるのは、結構大変なことなんです。日本の家主さんが異文化圏で育った外国人を店子にすることに躊躇するのも、まあ分かる気もします。家主さんたちの頭の中では、色々な心配が次から次へと湧いてくるようです。夜な夜な友人たちとパーティーを開いて騒ぐのではないか、部屋の中でバーベキューを始めるのではないか、ゴミ出しのルールを守れるのか。
ほとんどが杞憂なんですけどね(笑)。でも、実は一番の問題は別のところにあるんです。「突然帰国されて退去されては…」という心配。これは、残念ながら皆無とは言えません。私自身、ある研究者の身元引受人になったこともありました。家主さんの立場に立ってみると、この不安も分からなくもないですよね。
ビザの問題
さて、住まい以外にも大きな課題があるんです。それが在留資格、つまりビザの問題です。
実は意外かもしれませんが、OISTに在籍しているだけでは、学生用もしくは研究者用の在留ビザしか下りないのです。これが研究者たちの頭の種になっています。例えば、研究者が起業して会社の経営者になったとしても、すぐには経営ビザが取れる訳ではありません。
永住権を持っている研究者は、ごく一握りですね(かなり厳しい現実です)。このビザの更新が、彼らの日本での生活を左右する大きな問題となっているのです。研究者たちにとって、日本への定着の道のりは、まだまだ遠いと言わざるを得ません。
多様な食文化が交わるキャンパス
私の海外食体験(前置き編)
OISTの学生や研究者の日々の「衣食住」について、前章では「衣」と「住」の話をさせていただきました。さて、お待ちかね「食」の話題です(誰が待ちかねていたのかは、ちょっと脇に置いておきましょうね)。
実は私、以前の商社マン時代に世界中を飛び回っていたんです。(以前のブログでもご紹介させていただきました。「多くの職種を経験し、沖縄に辿り着くまでの半生〜第一章:倒壊道中膝栗毛編〜」)インドネシアで8年間、サウジアラビア、米国・シカゴでの長期滞在に加えて、インド、スリランカ、南イエメン(当時=現在はイエメン)、シリア、オランダ、フィリピン、タイへの出張と、まさに食の世界旅行でした。南イエメンに出張して肥って帰国したのはお前が初めてだ、と当時の上司から誉められました(チガーウ!)。
サウジアラビアを除く各国ではビールやワインなどのお酒も揃っていましたし、日本人が経営する居酒屋があった国も数え切れません。各国での面白い、美味しい食のエピソードは尽きないのですが、それでも、日本に帰国すると真っ先に和食が食べたくなるのは正直な舌と胃袋のせいですね(苦笑)。
OISTの食文化事情
さて、そんな経験があるからこそ、OISTの食文化の多様さには特に興味があるんです。まず目につくのは、アジア系の人々の食への情熱ですね。特にインド系の研究者たちの「カレー的なものへの偏愛」には驚かされます。
ここで一つ豆知識を。「カレー的なもの」と私が書くのには実は理由があって、インドには「カレー」という料理ジャンルは存在しないんです。むしろ、私が支援しているあるインド人起業家の話の方が分かりやすいかもしれません。
この方、なんと奥様のためにうるま市のインド料理店の経営権を買い取ってしまったんです。インド北部出身のシェフが腕を振るっているのですが、それだけでは満足できず、近々南部出身のシェフも招聘するんだとか。
北部は小麦粉のナンやチャパティ、南部は米が主食と、違いがあるんですよ(おかずのスパイシーな「マサラ」や「サグ」は同じようですが)。シェフを南北揃える必要があるのか⁉と思いますが、これぞ「食」へのこだわりですね。
多様な食のニーズ
そして、OISTならではなのが「菜食主義者」の多さです。欧米人もインド人も含めて、予想以上に多いんですよ。理由は様々で、宗教的な理由、動物愛護の精神、環境への配慮など。
特に厳格なのが欧米系に多い「ヴィーガン」で、牛乳やチーズなど動物由来の食品を一切摂取しません。一方、インド人の場合はヨーグルトやギーはOKという、比較的緩やかな菜食主義。そのため、カフェテリアのメニューも自然と「ベジー」が半分以上を占めているのです。
沖縄とアジアの不思議な親和性
地理的な近さがもたらすもの
つい、インドの話に熱が入ってしまいました(笑)。ここで、さらに沖縄とアジアの関係についてもお話しします。
沖縄は地理的にみるとアジア各国へ非常に近い位置にあります。特に台湾へは、フライトも充実していて(安くて近い!)、東京に行くより気軽に行けちゃいます。まあ、パスポートは必要ですが。
沖縄県も、この地の利を活かそうとしています。アジアのハブとして産業を集積させ、物流の拠点として育てたい意向があるようです。OISTへの支援も、そんな大きな構想の一環なのでしょう。観光面でも中国や韓国などアジア圏からのインバウンド観光客が増えていて、沖縄は着実にアジアと日本の架け橋になりつつあります。
文化でつながるアジアと沖縄
でも、地理的な近さだけじゃないんです。沖縄には大陸との深い文化的つながりがあるんですよ。昔から交易で栄え、争いを避けて友好的な外交を保つため、伝統芸能なども大切に育ててきました。まさに「お・も・て・な・し」ですね(ふるーい!)。
実はアジアの多くの国々には、欧米列強による植民地支配の記憶があります。1940年代の第二次世界大戦後、各地で独立を果たしていきました。日本への親しみを感じる国も多いのは、この歴史と無関係ではありません(決して戦争賛美ではありませんよ)。
面白いのは、独立後も旧宗主国と良好な関係を保っている国が多いことです。皆さん、コモンウェルスゲームってご存じですか? 旧英領の国々が参加する、オリンピックのような大会なんです。日本ではあまり報道されませんが、インドやマレーシア、オーストラリアでは大人気のイベントなんですよ。
沖縄の独自性
沖縄も、日本本土や薩摩藩との関係はありましたが、かつては大陸への朝貢外交も行っていました。この辺の歴史的な経験が、アジアの国々と通じ合うところがあるんです。首里城を見ても分かるように、日本と大陸の建築様式や文化が見事に調和しているんですよ。このことは、首里城のHPにも記載されているところです。
私が沖縄への移住を決めた理由の一つも、「植生や気候、穏やかな県民性がインドネシアに似ている」ことでした。まあ、一番の理由はスギ花粉が飛んでいないことですけどね(笑)。
まとめ
今回は、OISTならではの特徴的な食と暮らし、沖縄とアジアの親和性について紹介しました。そうそう、最後に面白い発見を。沖縄料理の「ちゃんぷるー」、実はインドネシア語で「かき混ぜる」という意味の「チャンプル」とそっくりなんです。バリ島の「ナシチャンプル」という料理名と同じルーツかもしれません。言葉の中にも、アジアとのつながりが隠れているんですね。おお、上手くまとまった(気がする)。
今回、日々新しい発見のあるOISTでの食と暮らしの様子が、少しでも伝えられていたら、幸いです(正直、まだまだ話し足りない気もしますが…笑)。