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レキサンでインキュベーション事業を担当しております、高橋です。 

これまでのブログでは、私がデスクを置くOIST(沖縄科学技術大学院大学)とOIST発のスタートアップの様子などをご紹介してきました。

沖縄経済の活性化と新たな雇用を生むために、レキサンはOISTのスタートアップを支援する
インキュベーション奮闘記~ OISTスタートアップ支援の舞台裏 ~
食と暮らしから見えるOIST〜恩納村の異文化交差点〜

沖縄に移り住んでから5年半余が経ち、沖縄の四季にも、風土にもすっかり慣れ親しみました。年中、夏のようなイメージがあるかもしれませんが、意外にも沖縄にも四季はあるんですよ!内地(沖縄では本土のことを内地と呼びます)から見ていた当時の沖縄のイメージは過去のものとなり、今は沖縄側から見て日本を俯瞰するということが私自身は当たり前になってきました。そこで、今回は内地から見た沖縄、沖縄から見た内地という視点、それから世界の中の沖縄、という視点で筆を進めたいと思います。

目次

  1. 島しょ県沖縄の持つ多様性
  2. 島ナイチャーが感じた沖縄の”優しさ”
  3. まとめ

島しょ県沖縄の持つ多様性

 よく日本は西欧やアメリカ、中国のような多民族国家ではなく、単一民族国家だといわれます。多民族国家とは“国内人口で最多の民族に対し、その5%以下の数の少数民族がいる国”と定義されるそうです。日本にも蝦夷地に古くから住むアイヌ民族が居る、であるとか沖縄の琉球人という存在もある、と諸説はある訳ですが、最多民族である大和民族が96%以上を占めるため、「単一民族国家である」という見解も一部で聞かれます。しかし、単一民族国家かどうかについては国際的にさまざまな議論があるようです。なお、沖縄の人で「自分は日本人ではなく琉球人だ」と主張する方は、私の知る限りではごく少数の、特別な主義主張を持つ方に限ります。

 日本が島国であるということに異論を挟む人がいないように、沖縄も多数の島々から成り立っている島しょ県です。そして、沖縄にはそれぞれの出身島のアイデンティティや誇りを強く持ち続ける人が多いと思います。伝統芸能、料理、島くとぅば(島言葉)もそれぞれ異なっています。言葉でいえば、標準語で「ありがとう」は、沖縄本島では観光客も良く聴く「にふぇーでーびる」ですが、これが石垣島では「みいふぁいゆ」ですし、宮古島では「たんでぃがーたんでぃ」となります。南北に細長い日本列島各地にも方言はありますが、ここまで「異なる言語感」を感じることはまれでしょう。

 出身地である島を「生まり島(うまりじま)」と呼び、郷土愛も大変深く、那覇のような都会に出て来ていても、出身の島の人脈は生き続けています。
単に仲が良いとか、良く集まるとかだけではなく、沖縄県経済界でも○○島出身者は社長が多い、とか、□□業界は○○島出身者が集まっているなどの話はよく聞きます。

 沖縄が内包するこのような多様性は、観光客で来県していた当時の私では、理解することも感じ取ることもできていませんでした。民族や文化が「単一であるか」「多様性に富んでいるか」は、実際に暮らしてみると相対的なものだと感じます。 

 沖縄で感心することの一つに高校野球熱があります。県内のどこの島の出身者であっても、甲子園に県勢のチームが出場すれば、県民一丸となって応援を行います。つまり、これは本土(内地)の高校チームに対して「チバリョー沖縄球児!」と相対的に内向きの連帯意識が発揮される訳です。以上はあくまでも例え話ですが、本土(内地)の人間か沖縄県人かという区別は、その区別が必要となる局面だけで初めて発揮されるものであり、普段は同じ日本に暮らす仲間だ、というのが私自身のリアルな実感です。

 島ナイチャーが感じた沖縄の“優しさ”

沖縄から見た移住者「島ナイチャーは異邦人?」

 さて、私は東京生まれですが、沖縄では県内出身であっても○○島出身者、や「糸満人(いとまんちゅ)」「首里人(すいんちゅ)」と出身地毎にカテゴライズされるように、私のような内地出身者は「島ナイチャー(島に居る内地人)」と呼ばれることがあります。かつては「大和人(やまとんちゅ)」とも呼ばれることがあったようですが、私の周囲では現在ほとんど使われていません。

 「島ナイチャー」という言葉には、色々なニュアンスが込められているようです。文字通り、沖縄県出身者ではない人たち、あるいは沖縄に移住してきたけど、いつかはあっちへ帰るんでしょ、という少し距離を置かれるような見方を感じることも皆無ではありません。とはいえ決してネガティブな意味合いだけではありません。沖縄を好きになってくれて、住んでくれてありがとう、というニュアンスで「あなたナイチャーなんでしょ⁉(それなのにそんなこと知ってるの、の意)」と言われることもしばしばあります。当初は戸惑いすら感じていたこの「あなたナイチャーでしょ?」という問いかけに対して、今はナチュラルに「はいそうですよ」と応えられるようになりました。「島ナイチャー」と呼ばれても、外国人ではないしウチナンチューでもない、他県出身だけど今は沖縄に住んでいる少し変わった人たち、という程度の意味合いかな、と私は感じます。決して異邦人扱いされている訳ではありませんよね。

海外経験から感じた沖縄の「優しさ」

 さて、私は東南アジアや北米、中近東で合計15年近く暮らしたことがあります。今、沖縄で強く感じることの一つに、ウチナンチューが他県、他地域出身者に対する時の対応に、東南アジア、特にインドネシアやフィリピンのような島しょ国の人々に通じる優しさを感じるのです。

 中国やヨーロッパ、中近東、アフリカなどの大陸に位置する国々では長い歴史において隣国や他民族との土地・文化をめぐる争いなどもあり、隣人に対しても油断できない場面が多かったのではないか、と私は想像しています。

そのため、大陸の方々にとって、曖昧に笑みを浮かべて人懐っこく接する島しょ国のアジアの民は、少し理解しにくい部分があるかもしれません。自分の意見を口に出し、感情を表情に出して互いに主義主張を確認し合うことで安心できるのが、大陸人、地続きの国の民なのかなと思います。

 一方、海に囲まれて暮らす我々は、古来、異国の人との遭遇は、ごくたまに流れ着く遭難者が殆どだったようです。アジアの漁師たちや船乗りが黒潮に流されて、日本の地に流れ着いたことも多かったのかもしれません。そうした遭難者に対し、水や食料、医療を与え、船を直してやり、また母国への帰途に着くのを見守ってきたのが日本人なのですよね。
 マレー語で「天国」を「surga(スルガ)」や「syurga(シュルガ)」と表記しますが、これを静岡県の「駿河」の地名に由来するとする説があります。おそらく、今の静岡県辺りの駿河の浜に流れ着いたかの国の船乗りが望外の歓待を受けたことがその言葉の源ではないか、と私は信じています。

そして、江戸の世になって、南蛮から渡来した宣教師達や、黒船に乗ってやって来たペリーが開国を迫って、私たちは初めて国土や自文化の防衛意識を強く持つようになったとも言われています。

優しい沖縄にめんそーれ

 沖縄のアマミキヨの伝説は海の向こうの理想郷である「ニライカナイ」から渡ってきた神が沖縄の島造りをされた、というものですが、沖縄同様に海を渡って来た者は福なるものだ、というのが多くの島しょ国の人々の持つ文化的価値観です。地続きの国の人々に比べて、外来の者・物への警戒感が比較的やわらかい傾向があるように感じるのは、そうした歴史や伝承が背景にあるのかもしれません。私自身、この「島の優しさ」が根底にあるからこそ、「島ナイチャー」と呼ばれてもあまり被差別感を持たずに暮らせているのだと思います。

 まとめ

日本から離れて日本を見て気が付くことは大変多かったな、と思います。そして、沖縄に来て初めて「ああ、日本(内地)ってこんなものなんだな」と感じることも多々あります。 これから沖縄に移住しようと計画する皆さん、長年沖縄を離れていたけど、いよいよ帰郷しようかと考えている皆さん、大丈夫ですよ! ウチナンチューも島ナイチャーも、いつでも皆さんをウェルカムですよ!

高橋 直人 Takahashi Naoto
インキュベーション事業担当
1959年東京都文京区生まれ。早稲田で学生時代を過ごした後、総合商社に入社。14年半の在籍期間中、米国、サウジアラビア、インドネシアと海外駐在が中心。経済協力部課長としてODA案件を担当。 その後、京都のバイオ燃料ベンチャーを経て、米国系保険グループへ。13年半の在籍中、購買セクション統括から総務部長まで歴任し、東日本大震災では災害救援隊リーダーとして支援活動に従事。50歳前に愛知県の自動車部品メーカーへ転身し、総務部長、法務課長、秘書室長を兼務。 60歳を前に沖縄移住を決意。素材メーカーの工場で採用・労務管理を担当し、地元の若者の雇用創出に尽力。建設業での経験を経て、現在は株式会社レキサンでインキュベーション事業を担当。商社、ベンチャー、外資系金融、製造業と、多様な経験を活かし、「沖縄のために何か成し遂げたい」という想いで新たな挑戦を続けている。

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