インキュベーション奮闘記~ OISTスタートアップ支援の舞台裏 ~
皆さん、こんにちは。レキサンでインキュベーション事業を担当しております高橋です。カッコいい肩書きですが、実は令和6年度に前期高齢者の仲間入りをした新米爺さんです(笑)
実際に孫が二人いる私がレキサンの一員となり、OIST(沖縄科学技術大学院大学)のスタートアップ支援に携わるようになったいきさつは、前回のブログでご紹介させていただきました。
さて、前述の通り、私はインキュベーション事業担当という、なんだかカッコ良くも怪しげな肩書きの名刺を持ち歩いています。ナンジャソリャ?と思ったそこのあなた!ChatGPTに「レキサン OIST スタートアップ インキュベーション」と入力してみて下さい。私がするよりはるかに簡潔に解説をしてもらえます。
ただし、「レキサン ブログ記事 来週入稿 どうしよう」と入力しても救いの手は差し伸べてくれませんので、今回も鉛筆を舐めながら必死に原稿を書いている次第です。(鉛筆…のくだりに突っ込みは不要です。)
本題に戻りまして、今回は「スタートアップ」と「インキュベーション事業」について私なりの解説をさせていただき、実際に私が日々お付き合いをしているOISTのスタートアップ2社についてもご紹介したいと思います。
スタートアップを取り巻く環境
「スタートアップ」という呼び方は、私が現役サラリーマンだった2010年頃まではあまり一般的ではなく「ベンチャー企業」というのが普通の呼び方でした。
2010年代に入り、米国カリフォルニア州のシリコンバレーと呼ばれる地域への先進的企業の相次ぐ進出、そこでの新規起業ブームと、その起業家に投資する人たちの動きが世界の経済界でも非常に目立つ存在となってきました。
この動きは世界中に広がり、色々な都市に「〇〇〇シリコンバレー」が発生するという現象を呼び起こしました。そこでは次々と大学や研究機関から学生や技術者がスピンアウト、起業するようになり、この頃から「スタートアップ」という呼び方が一般的になったように思います。
20世紀末までの時代、研究開発に必要なヒト・モノ・カネは、主に大企業や公的機関の内部にしか存在しておらず、独自技術を武器に、創業意欲たくましい若い世代がその殻を破って産業界にデビューする、ということはあまり考えられませんでした。
なぜなら、ヒト・モノ・カネのある大企業の中でこそ研究や開発が可能であったからです。金融機関や機関投資家も先の見通しの利かない高リスクの若い起業家に積極的に投資する、という動きは少なかったと思います。
さて、今でも新しい技術の開発や、その更なる研究のためにはヒト・モノ・カネが必要であることに変わりはありません。
しかし、その調達方法は大きく変化してきました。ヒトの流動性が高まり、研究施設・設備などモノを持つ大学などが門戸を開放し、巨額の富を手にした個人投資家やベンチャーキャピタル、あるいは国・自治体の補助金や助成金というカネが若き技術者たちの元へ流れ込む時代がやってきた訳です。
更にヒト・モノ・カネに加え、情報やネットワーキングといった目に見えない価値が大変重要な役割を果たすような時代にもなりました。
インキュベーション事業の役割
このようなヒト・モノ・カネを仲介し結びつけ、起業家の創業や成長を支援する「場」、これをスタートアップ・エコシステムと呼びます。
そして、このスタートアップ・エコシステムこそが、我々インキュベーション事業担当者の活動の場なのです。つまり、インキュベーション事業とは端的に言えば、スタートアップと様々な支援者を結びつけ、その成長をサポートする仕事だと言って良いでしょう。
前置きが長くなりましたが、次に私が関係しているスタートアップの会社について、具体的なエピソードも交えながらご紹介したいと思います。
支援企業紹介(1)Watasumi株式会社
まずご紹介するのは、OISTのスタートアップでは比較的歴史のある「Watasumi株式会社」です。創業者のDavid Simpsonさんは、シカゴ生まれのスコットランド人研究者です。2021年10月の設立以来、ユニークな環境技術で注目を集めています。
彼らが開発したのは、酒造メーカーや食品メーカーの工場排水を、バクテリアの力で浄化する装置です。しかも、その過程で発生する電気やバイオガスを回収して再利用できるという、なんとも賢い仕組みなんです。
特に力を入れているのが、沖縄の伝統的なお酒、泡盛の酒造所への導入です。泡盛の醸造過程で発生する泡盛粕の処理に、多くの酒造所が頭を悩ませているんです。もちろん、今でも飼料や肥料として活用されてはいますが、処理にかかる手間とコストは酒造所にとって大きな負担となっています。そこにWatasumiの技術が光るというわけです。
私の仕事は、県内46社ほどの泡盛酒造所へコンタクトを取り、Watasumiの技術を説明して回ることです。
ところが、これが思った以上に骨の折れる仕事なんです。というのも、大手を除けば従業員10名程度、あるいはそれ以下の小規模経営の会社がほとんど。社長さんや工場長さんとアポを取るだけでも一苦労です(皆さん、イベントや出張で本当にお忙しいのです)。
そんな中で救いの神となってくれたのが「おきなわ産業まつり」。毎年秋口に開催される沖縄最大の産業イベントで、県内の製造業や食品メーカー、そして泡盛酒造所が一堂に会します。
2024年も10月下旬に開催され、私はこのまつり会場へ出向けば、各酒造所の経営者の皆さんにお会いできるはず!と勇んで会場に乗り込みました。
そこで目にしたのは、なんと!普段なかなかお会いできないK酒造のN社長が、前掛け姿で出店ブースに立っているではありませんか。
「Nさーん、お会いしたかったです!」と、名刺交換も早々に話を切り出したところ、N社長から「いやいや、まずは当社自慢の泡盛を一杯!」と直々にお酌を。話も弾み、「次は御社の蔵を訪問しますね」とお約束して、次なるブースへ。
さらに足を進めると、電話でしかお話できていなかったZ酒造の製造部長さんとも遭遇。
「いやぁ、部長、ようやくお会いできましたね!」とご挨拶すると、自ら開発されたラムのボトルを手に微笑んでいらっしゃいます。
「ストレートではキツイかな?炭酸飲料で割る飲み方が多いですよね。」なんておっしゃりながら、試飲用のカップにストレートのラムを注いでくださって…。
こうして10社以上のブースを巡った結果、夕食前には見事に出来上がっていた私。これぞ、酒造メーカー営業の醍醐味…いや、ハードリカーな…もとい!ハードな側面というわけです(笑)。
ちなみにWatasumiの技術は、沖縄県外でも注目を集めており、北海道のウィスキー醸造所、栃木県の日本酒メーカーにも納入実績があります。
もしかしたら、私の営業範囲も広がるかも…。(島村社長!会社経費でソ〇マックを買っても良いですか?)
このようにWatasumiに関する私のインキュベーション活動は、県内の泡盛酒造所への営業活動が中心です。
伝統産業に新技術を導入する際は、技術面の説明はもちろん、各社の経営状況や文化も考慮しながら丁寧なコミュニケーションを心がけています。
日々の活動を通して、スタートアップと伝統産業の架け橋になれる手応えを感じています。
支援企業紹介(2)株式会社SND Regenic Pvt
次にご紹介するのは、最近、私が一番深く付き合っているバイオ関係のスタートアップである「株式会社SND Regenic Pvt」です。
2024年5月に法人登記をしたばかりのスタートアップで、創業者のLokesh Agrawalさんは、なんと若干33歳。インドのジャイプール大学を卒業後に来日し、茨城県の国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)でバイオマテリアルを研究。
その後、筑波大学で神経工学の博士号を取得してOISTの研究職員として沖縄にやって来た気鋭の研究者です。
彼が研究しているのは、バイオマテリアルの開発と先進的な3Dバイオプリンターです。
脊髄損傷の治療に使える生体親和性の高い材料や、動物実験に代わる組織培養地として期待されています。
さて、研究の話はここまでにして、ロケシュさんとの日々で気付いたことをお話ししましょう。彼と一緒に過ごす時間が増えて来て気付かされたのは「インド人は本当にお茶が好き」ということと「インド人は1年365日、朝昼晩とカレーを食べても平気」という、多分そうだろうなあ、でも本当は違うんじゃないの、という我々の常識と疑問の境界線についての事実認識です。これら、どちらも真実でした(高橋調べ)。
たとえば大切なピッチコンテストの3分前。
まさにこれから発表という私に、お茶を勧めて来たことがあります。いや、これから喋るんでミネラルウォーターが欲しいんだけどな(とは言えず)。
さらに、カレーについてのこんな逸話があります。「奥様に早く日本の社会に馴染んでほしい」という一心から、なんと県内某所のインド料理店の経営権を買ってしまったんです。奥様を社長とする法人まで設立して!(ちなみにその時、奥様は出産のため故郷インドに里帰り中でした…)
それから、店舗の従業員の引き継ぎに始まり、什器の引き渡し、不動産契約の更新、新規スタッフの採用…。
奥様が不在の間にこれらを済ませたいという彼の熱意から、結局これらの実務を担当することになったのは…そう、この私です。
どうやらロケシュさんは、年齢的に父親か叔父さんくらいの私を、家族同然の扱いで私をファミリービジネスにも引き込んで来るのです。レストランの打ち合わせの合間に本業のバイオマテリアルの話が入るという、何とも不思議な日々を過ごしています。
そんな私の仕事ぶりを代表の島村は、苦笑交じりながら「良いんじゃないですか。ロケシュさんの全てを把握できるし。」と認めてくれています。
ビジネスライクにそんな仕事は約束した内容に含まれていないから、と断ることもできたかもしれません。おそらく欧米人の研究者であれば、そういうドライな付き合いをむしろ相手も望むでしょう。この辺が同じアジア人同士のやり方なのかもしれません。
とにかく根気よく、にこやかに接することが肝心かな、と受け止めています。「ナンじゃそりゃ!」と私がキレても「ナンじゃなくて、ライスでもOKよ♪」といなされるような予感もしますし。
結果としてSND Regenicに関する私のインキュベーション活動は、技術支援に留まらず、創業者の生活面までサポートする親身な関わりが中心です。
型にはまらない支援の形ですが、これもまたインキュベーション事業担当者としての大切な役割だと感じています。
おわりに
このように日々さまざまな国の研究者と接していると、かつての海外駐在時代を思い出します。特にインドネシアに駐在していた際、右も左も分からない私を優しく、そして厳しく指導してくれた客先の社長さんであったスマトラ出身のモハメッド・ラフマンさんを思い出します。
ラフマンさんはその数年後、サウジアラビア・ジェッダに駐在していた私をメッカ巡礼の際に訪問してくれました。
そんな生涯の付き合いができる海外からの研究者たちと、この恩納村の高台で数年間を共に過ごせる環境に、日々感謝しながら過ごしています。