島村 賢太 島村 賢太
INTERVIEW
インタビュー

島村 賢太

Shimamura Kenta
国家資格キャリアコンサルタント

地元沖縄に貢献できているという喜びを胸に
沖縄からよりよい世界を目指し、
新しい価値の創出へ

PROFILE

出身
沖縄県石垣市
出身校
球陽高校、横浜国立大学
資格
国家資格キャリアコンサルタント
趣味
格闘技観戦(ボクシング、MMA)、BBQ、シュノーケリング、子供とMinecraft
特技
指笛、間違い探し
居住歴
石垣市17年、沖縄市3年、浦添市4年、横浜市4年、長野県松本市6年、新潟市4年半
思い出の場所 (沖縄)
石垣島
SNS
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石垣島で生まれ、中学卒業まで石垣島で過ごす。中学はソフトテニス部に所属。高校は沖縄本島に進学。子供時代に見た甲子園の沖縄水産に憧れがあり、野球部に入部。レギュラーになれなかったが、最期の大会で創部はじめての県ベスト8に進め、沖縄水産との試合に出場できたのは良い思い出。

大学受験は2浪して実家の石垣島で過ごす。大学で横浜へ。バイトはせず、ボクシングジムに通い、ゼミ活動に精を出す。将来は沖縄で起業をしようと漠然と考え、リクルートへ入社。


沖縄で起業する夢を抱きリクルートへ入社
地方の営業職で仕事三昧のハードな日々
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沖縄で起業する夢を抱きリクルートへ入社
地方の営業職で仕事三昧のハードな日々

沖縄県の石垣島に生まれ、高校入学と同時に沖縄本島へ渡るまで島で暮らしました。父は生物を教える高校教員、祖父は自然保護活動に尽力した教育者。島の自然を愛し、島のために生きた2人の背中を見て、いつからか自分も将来は沖縄に貢献したいと考えるようになりました。

高校卒業後は、都会で生活してみたいという憧れもあり、横浜国立大学経営学部へ。当時は、大企業が次々と倒産していく時代だったので、起業して自分で食べていける力をつけたい、沖縄で起業するんだという夢を漠然と抱いていました。

大学卒業後、株式会社リクルートへ入社。新潟県、長野県と地方へ配属となり、現地の企業向けに求人広告の営業を行いました。自らの成長を実感する仕事三昧の日々でした。目標達成意欲が強い方で、自分を激しく追い込んでしまい、ストレスでヘルニアになって歩けなくなっても杖をついて這って会社に行き、上司に止められたのはいい思い出です(笑)。それくらい仕事に打ち込んでいました。一方で、沖縄で起業する道は仕事に追われて見い出せず悶々としていました。

そんなとき、新潟支社時代の先輩から、とてもありがたいお声掛けが。新潟で地域に特化した人材紹介業の会社を設立して、次は長野支社を考えている。その立ち上げを手伝ってほしいという話でした。働く場所は妻の実家がある松本市で、2人目を出産したばかりの育児環境を考えると心強かったですし、なにより「ここで修行すれば、将来沖縄へ帰ったとき、この事業で起業できる」という先輩のアドバイスに背中を押され、6年半勤めたリクルートの退職を決断しました。

初めての人材紹介業、支社立ち上げに奮闘
売り上げを追い続けた失敗からの気づき
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初めての人材紹介業、支社立ち上げに奮闘
売り上げを追い続けた失敗からの気づき

立ち上げメンバーとして入社した「リージョナルキャリア長野」松本支社では、自宅から直行直帰で営業、面談活動を行い、本拠地のある長野市へは週一度だけ出社するというスタイルでした。人材紹介業は未経験の領域でしたし、会社の立ち上げ期に実績を上げられるかどうかという不安もありましたが、前職で培ったフットワークを最大限に活かすことに。企業を訪問し求人を頂き、転職希望者さんと面談し、動き続けることで、順調に売り上げを作っていきました。

でも半年ほど経ったとき、数字を上げることに偏りすぎたことから招いた自らの失敗に気づきます。売り上げに結びつきやすい優秀な転職希望者の方だけを相手にして、それ以外の人をおろそかにしてしまっていたんです。このままではいけない。そう自戒したきっかけは、個人情報漏えい事件。

当時、効率のよさから会社では容認されていないメールサービスを使っていたんですが、ハッキングされてしまい、迷惑メールがばらまかれてしまったんです。過去にお役に立てなかった転職希望者の方からのお叱りの声は特に厳しいものがあり、自分の至らなさに直面。もっと大切にすべきことがあると心を入れ替え、仕事の姿勢を見直す大きな契機となりました。

利他的な姿勢で、私心を持たず全力を尽くす
損は一時的、長い目で見れば利益につながる

本音で真剣にぶつかり、本当の声を導き出す
「転職=あなたにとって幸せなのか?」を一緒に考えたい

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利他的な姿勢で、私心を持たず全力を尽くす
損は一時的、長い目で見れば利益につながる

京セラの創業者、稲盛和夫氏の経営哲学を学ぶ「盛和塾」との出会いも、私の価値観を変えるきっかけとなりました。とりわけ、“利他とビジネスの両立”については、いちコンサルタントとして大事な基盤となっています。ご相談に来て頂いた転職希望者さんにはまず感謝し、どんな方でも受け入れる。

そして私心を持たず全力を尽くす。人間なので私心をなくすのは難しいことですが、なくそうと努力することが大事。いつもそう胸にとどめています。利他的な行為は一時的に損を被るように見えます。でも中長期的に見ると損ではない。後から必ず返ってくるんです。これは実体験から学びました。

あるとき、63歳という年齢的になかなかご提案が難しい男性の転職希望者さんから登録がありました。今は求人がなくてもまず面談を、とご希望されたのでお会いしてみたら、とても素晴らしいキャリアをお持ちの方で。そのとき、ふと「あの会社さんに合うかも」とひらめいたんです。40歳以上は求人条件外の会社でしたが、人事の方にお話したら興味を持ってくださって。

結果、紹介料は頂かずボランティアでおつなぎしました。そしたらなんと嘱託員で入社し、大活躍することに。すごく感謝頂いて、後にその男性の口利きで、どうしてもお会いできなかった地元の営業先と大きな取引ができるようになったり、すごい展開が生まれました。一般的な人材紹介業のセオリーではありえない奇跡みたいな話(笑)。自分の信念を信じて進もうと勇気づけられました。

転職しないという選択も視野に入れ提案
真に相手のためになることを一緒に考える
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転職しないという選択も視野に入れ提案
真に相手のためになることを一緒に考える

転職希望者さんへ最適なご提案をするためには、まず“聞くに徹する”を心がけています。面談で傾聴していると、ちょっとした感情の揺れや目の動きから「ここに何かあるな」と掴めるタイミングがあるんです。それに気づいた段階で「ここをもっと聞きたい」とお願いしていくと、本当に話したかった心の声をお聞きできることがあります。

それから、嘘をつかないこと。こちらが真剣に本音でぶつかることで、実は……と、本音を話してくださることが多いので。その上で大事なのは、相手の立場に立って考えてみる。これは奥が深いことですね。甘いことをいうのは簡単ですが、一見非情なことも必要になってきます。たとえば、ご本人が転職を希望していても、今、転職することが本当にこの人のためになるだろうか?と疑問に思ったら、現職で頑張ることをアドバイスします。

優秀なキャリアをお持ちの方であれば、すぐに紹介先は見つかりますし、我々の売り上げにもつながりますが、この考え方、スタンスのまま新しい会社に入ってもきっとまた同じ失敗をするだろうな、と。

とはいえ、どうしても心身ともにきついという状態であれば別の話。そもそも「転職=あなたにとって幸せなのか?」を一緒に考えることが大事だなと思います。相談相手が自分の兄弟や身近な人だったら? そんな想像をしながらお話することを心がけていますね。

沖縄で企業と人をつなぎ雇用を生み出す意義
起業から5年目に感じる確かな手ごたえ
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沖縄で企業と人をつなぎ雇用を生み出す意義
起業から5年目に感じる確かな手ごたえ

2017年4月に沖縄に帰り、念願の起業を叶えて5年目。これまで沖縄に本社を置き、人材紹介業専業で大好きな沖縄に貢献できることは、大きなやりがいを感じています。このレキサンがなかったら存在しなかった出会いが生まれ、雇用を創出できていることは、とても意義深いこと。

沖縄で課題を抱える経営者や人事責任者が我々を頼ってくださることも、転職希望者さんがご紹介した会社で元気に活躍しているという報告も、沖縄に貢献できているという直接的な手ごたえにつながり、ものすごく嬉しいですね。

手前味噌になりますが、私が生まれた島、沖縄は本当にいいところ。なんとも表現できない独特の熱量と魅力があります。沖縄にUIターンをして思いっきり働きたいと考えていらっしゃる方、どんどんご相談ください。まだ漠然としか考えられない方も、転職に限らず、起業したいという方も、これまでのキャリアをお聞きして、可能性をご提案させていただきます。沖縄は課題も多いですが、志ある皆さんとぜひ一緒に働き、沖縄から日本を、世界をより良くしていけたらいいなと思います。

これからの沖縄・自身の目標

沖縄でチャレンジしたいという方の可能性を最大限に活かすため、より質の高いポジションメイキングを目指します。沖縄には素晴らしい経営者、キーマンの方々がたくさんいらっしゃるので、そういった方々と積極的に関係性を詰めていき、魅力的で新しい価値、雇用の創出を実現したいですね。そして沖縄に関わる人たちを少しでも幸せにし、魅力的な場所にしていきたいです。

趣味は運動で、健康診断での体力年齢は毎年19歳です(笑) 15分程度ですが自重筋トレを毎日しています。また通勤で自宅のある浦添→那覇へ片道約6キロを毎日往復走って通勤していました。コロナ禍になり在宅ワークを取り入れ、週片道3回にほどに減ってしまいましたが、良い息抜きになります。会社の有志で那覇マラソンも出場・完走できるようになり、市の陸上競技大会の1500メートル走に町内代表として出場したところ、市内5位になりました。微妙な成績なので(笑)、もっと良い成績を出せるよう、また通勤時間を短縮できるようがんばります!
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趣味は運動で、健康診断での体力年齢は毎年19歳です(笑) 15分程度ですが自重筋トレを毎日しています。また通勤で自宅のある浦添→那覇へ片道約6キロを毎日往復走って通勤していました。コロナ禍になり在宅ワークを取り入れ、週片道3回にほどに減ってしまいましたが、良い息抜きになります。会社の有志で那覇マラソンも出場・完走できるようになり、市の陸上競技大会の1500メートル走に町内代表として出場したところ、市内5位になりました。微妙な成績なので(笑)、もっと良い成績を出せるよう、また通勤時間を短縮できるようがんばります!